・2001年8月18日 ハットトリック
なんだかなああ。。。
ムーンロードー駅前果実商店街
洋服のワカミヤ SALE! SALE! SALE!!!!!!
岡本夏生、パリで60着服を買う。勝負服は一着100万円。
お〜い、モーニング娘。。。。。やーい
ハチミツれもんって昔はやったよね。
ダビングダビングダビングダビングダビング・・・・・・・
ああ無情。レミゼラブル
雷
起承転結がなんだって?
社長さんはいらっしゃいますか
キーボードのキーの間に挟まった消しゴムのかすをふっと吹いてみた
イットイレエイットイレ
おおおなら へ
速達
ジーパンのしわ
今日は爪切りで足の爪を切ろうかと迷う時が必ず人にはある
ピーピーピーピーピー・・・ガッチャン
優しさ 変態 ボールペン レシートの束束束
ティッシュをまるめて放り投げて、ゴミ箱に嫌われて、その残骸
今日もまた日が沈む日が昇る
THEEND
文字化け????????
・2001年8月17日 ベトナム・第3章 忘れ去られた王国 ベトナムはこちら
・モーストデンジャラス
海外旅行・一人旅・アジア=危険みたいな構図が、
偏見というか先入観としてあるのかもしれませんが、
もちろんどんな旅にも危険はつきものなのです。
いくら旅慣れして危険への嗅覚が他人より少しは発達したところで、
やっぱり100%危険を避けることはできません。
今回のベトナム旅行で最も危険だったシーンがこの写真。
町から不便なところに点在するチャンパ遺跡をバイクタクシーに乗って観光するわけですが、
短い旅行のために無理して連日、夜行列車を使って強行日程を繰り返していたせいか、
後に乗っていると異常に眠くなってくるのです。
かなりうとうとして、かっくんかっくんし、
はっと目が覚めると「危ない!」ってことが結構何度もあったんです。
居眠り運転ならぬ、居眠り乗車。はっきりいってかなり危険です。
これが最もこの旅行で危険だったこと。
騙されたり金をせびられたり、道端で口論したり、ホテルの前で待ち伏せされたりと、
多少は危険なことはありましたが、
そういったことへの対策は慣れてますので、あまりたいしたことではなかったのですが、
眠くて後部座席で寝てしまうというのは、ほんと対策のしようがなくって困りました。
まあ強いて言うなら、短い旅行をするなってことぐらいっすかね。
やっぱり長旅の方が無理せずゆっくり見て回れるから。
・2001年8月16日 靖国神社の参拝是非を語る前に
小泉総理大臣の靖国神社参拝は、大きな議論を巻き起こしている。
総理大臣が戦前日本の軍国主義の象徴たる靖国神社に参拝することは、
近隣諸国の感情を考えると、してはならないことだという。
野党も政策議論では勝てないのか、総理の揚げ足とりにここぞとばかりにこの問題に夢中になっている。
僕はここで靖国神社への参拝の是非をジャッジしようとは思わない。
僕が思うに、軍国主義の象徴たる靖国神社でこれほど大騒ぎするのならば、
言ってみれば日本の軍国主義の精神的支柱でもあり、指導者の旗印でもあった天皇はどうなるのだろうか?
過去の象徴である靖国神社を参拝することが近隣諸国の感情を悪化させるというのであれば、
いくら憲法で定められた象徴天皇制であろうが、過去の日本軍国主義の中心となった天皇に、
内閣総理大臣が指名されるというのはいかがなものか、という議論が巻き起こっても不思議ではない。
軍国主義の象徴たる天皇に総理大臣が頭を下げることが許されて、
軍国主義の象徴たる靖国神社に総理が頭を下げることだけがこれだけ騒ぎになるというのはおかしい。
こういうことを問題にするなら、きちんと筋道を通したとするならば、
何も靖国神社だけが攻撃の的になるのはおかしいのではないか。
こういう議論の浅さというか、マスコミが取り立てて騒ぎ立てることによって、
事の真相を錯乱させることは重大な犯罪だといえる。
もう一つこの問題で心配になったことは、
小泉総理の行動に日の丸を振って応える一部大衆の盲目的態度と、
アジア諸国の感情を代弁していると自負しているがごとく、声高に参拝反対を唱える過激な一部大衆の態度である。
どちらが正しくてどちらが間違っているということではなく、
他人の態度によく物事を考えずに、極端な賛成か極端な反対しかできない、
単細胞の大衆に危険な匂いを感じた。
これだけ様々な問題が複雑に絡み合った中で、態度を決定し表明することは大切なことだが、
簡単にどちらが正しいと決めつける態度は、らくだが非常に危険なことだ。
一つの問題に対して、マイナスプラスその両面を見るような冷静な目がないがぎり、
簡単にカリスマ指導者は独裁者へと転化し、また簡単に犯罪者へとまつりあげられる。
この問題に一党両断的な解説を加えることではなく、その背後に忍ぶ多くの問題を見据えて欲しいとつとに願う。
・2001年8月15日 盆休み
「人少ないっしょ」
「はあ?」
8/10(金)、夜中、赤坂見附から自宅に帰るためにタクシーに乗り込んだ時のことだ。
タクシーの運転手が僕に話掛けてきた。
僕は「人少ない」というのが一体何を意味しているかさっぱりわからなかった。
「普段の金曜日ならもっとこのぐらいの時間はあちこち人が歩いてるんだけどなあ、
もうみんな明日あたりから盆休みで、早く家に帰ってしまったんだろう」
そうか、お盆休みなのか。世間は・・・。
夏休みなんて感覚があまりない。特にお盆という感覚が全くない。
田舎から東京に出てきた、高度成長を支えた今の40・50代の世代には、
故郷に帰って墓参りっといった感覚があるのだろうが、
もともと都会に生まれ育ったわれわれの世代には、帰るべき故郷もなければ、墓参りすべき場所もない。
盆という意味が全くないのだ。
だとするならば、何も夏休みは帰省ラッシュきちがいの盆などにとる必要は全くない。
暑さがピークに達する8月中旬に休みを取る必要など全くない。
盆休みなのは日本だけなのに、海外行きの航空券が異常に高騰するこの時期に、
どこかに行く必要は全くない。
ならば9月や10月の連休とあわせて涼しい季節に休みを取った方がはるかに良い。
そう思うのが、今の若い世代の夏休みに対する感覚ってもんだろう。
季節感や行事感覚が薄れていくことは非常に残念なことだが、
24時間年中無休、誰もが同じ顔して同じ服きたぺこちゃんあめ社会には、
仕方がないことなのかもしれない。
社会がどんどん数値化され効率だけが追い求められる時代。
盆や祭りといった社会におけるガス抜きが失われていけば、
ストレスをためた人間が、衝動的な犯罪によって、ガス抜きをすることが増えてくるのは必然なのかもしれない。
凶悪犯罪の増加の原因はこんなところにもあるのかもしれない。
・2001年8月14日 中毒
慣習とは実に恐ろしい。
今日、仕事が定時に終わった。実に奇跡的なことである。
ここ半年間、ほぼ毎日23時・24時までやっていたので、18時に帰れるとはほんと奇跡である。
あまりにうれしくて家に早く帰りついたものの、一体何をしたらいいのかわからないのだ。
夜25時に帰ってきても、残り少ないわずかな時間を自分のために使おうと、
睡眠時間を削って集中していろんなことをやろうとするのに、
いざ早く帰って時間がありすぎると、なんだか落ちつかないのである。
結局、早く帰ったにもかかわらず、何もできず、すぐに眠くなってしまうという無駄な時間を過ごしてしまった。
これは仕事中毒の影響だな。
一つのことに集中させて、自分で考えて何かする思考と行動を奪ってしまう。
思えば日本社会というのは、学生は受験中毒にし、サラリーマンは仕事中毒にして、
自分勝手にいろんなことをできないようにする矯正システムなのだなと思った。
圧倒的な仕事量・勉強量によって人間の思考を麻痺させる恐るべき洗脳国家ニッポン。
適当な金を与えられて、適度な食事や適度なファッションや適度な娯楽で感覚麻痺させるガス抜き社会。
社会システムは間違っている。
自分で考え自分で行動し、自分の意志でやりたいことをやる。
それこそが自己責任の社会であり、大人の国家なのではないだろうか。
こんな社会の中で強い意志を持つことは極めて難しい。
・2001年8月13日 「丸亀日記」藤原新也著
1987年から朝日新聞に毎週掲載されたコラム。
身辺雑事から社会の構造・精神を見透かしたような文章は、
実に鋭く、今、読んでもはっとさせられるものを含んでいる。
しかし著者は、その社会に対する痛烈な批判を、
かつて「東京漂流」でやった時のように直接的にはしていない。
自分が町を歩く「丸亀」という設定によって、批判的文章が軽妙な語り口にすりかえられている。
しかし語り口が変わろうとも著者が一貫して主張することには変わらない。
それは僕なりにいうなら「アンドロメダ」である。
つまりは「身体の危機」だ。
銀河鉄道999で、星野哲郎が、機械の体を求めてアンドロメダめざして旅するように、
現代社会は、人間という動物的制約を超えて、機械化帝国を作り上げようとしている。
機械に囲まれた社会で「身体」が崩壊すれば、やがてそれは精神を蝕ばんでいく。
人間性の危機、機械化への危機が日々進行しつつあるのだ。
1年あまり警鐘を鳴らし続けた著者の声は届いたのか?
社会はいまだ悪化の一途を辿っている。
つぶやきでこんなことが書ければなと、見本にしたい本だ。
・書評ランキング
・2001年8月12日 ピンチヒッター
いろんなことがある。
補欠に回された選手が、レギュラー選手の突如のケガで代打が回ってきた。
そこで打てるか打てないか。
そこに一つの人生の分かれ目がある。
すべては切り口だ、と思う。
その人なりの、その会社なりの、その雑誌なりの、独自の切り口さえあえば、
材料が同じでも、変わった料理に見える。
時代は変わる。社会は変わる。
政治家に文句を言っても、評論家が偉そうに解説しても、
残念ながら社会は何も変わらない。
一人一人の些細な行動。
それが積み重なってはじめて「社会」という総体ができあがるのだから。
時には120%の力を振り絞って、走り続けなければならないこともある。
そこであきらめず、そこで負けずに乗り越えた時、
はじめてその人は一皮剥ける。
逃げるということも人生においては必要なことである。
逃げる事のできない人は、自分を追い詰めるだけでいつかは破裂してしまう。
ただ逃げるという選択肢に自殺があってはならない。
逃げたくなったのなら、いくらでも世界中に逃げる場はあるのだから。
いかにハンドルをうまく操作するか。それが今の僕の課題である。
押し寄せてくるきりのない仕事。
それをいかにうまくさばいて無事目的地に辿り着くか。
仕事のハンドルを握るということは、そこに多くの人を巻き込んでいる。
僕がハンドル操作を誤れば、多くの人に迷惑がかかるし、
僕がハンドル操作を巧みに操れば、多くの人もスムーズに仕事ができる。
でも忘れてはならないのは、仕事や他人のハンドル操作だけでなく、
自分自身のハンドル操作を誤らないことである。
時には自分に鞭打ち、時には自分に餌をぶらさげ、時には自分に休息を与えてやる。
僕は今、ちゃんとハンドルを握れているかい?
チャンスは常に自分の中にある。
ないものねだりしてもしょうがない。
与えられた仕事の中でいかに数少ないチャンスをものにするか。
いかに常にアンテナを張って、チャンスを逃さないか。
好きこそ物の上手なれ。
立身出世のためじゃなく、金儲けのためでなく、すべては自分の魂の飼葉のために。
一杯のコーヒー。一袋のポテトチップス。一曲の音楽。
人はどんなことでも幸せになれる。
きっと・・・
・2001年8月10・11日 20年後に大戦争が起こる
<1>
今年の6月にベトナムに旅行することになり、
何かベトナムを知る本はないかと思って手に取ったのが、開高健の「ベトナム戦記」である。
正直いって、今更ベトナム戦争のことを読んでも、同時代と感じる事はできず、
すでに歴史の教科書を読むようなはるか遠い昔の感覚に、我々の若い世代はなってしまっている。
戦争を知らない世代なのだということをつくづく実感させられた。
なんでこんな愚かしいことをするのだろうか?
なんでこんな無意味な人の殺し合いをするのだろうか?
こんな馬鹿げたことは21世紀になった今、起こるはずがないと普通なら思う。
日本では、北海道広尾町で起きた子供の殺害事件が連日のように報道されている。
小学校で刃物で斬り付け無差別に児童を殺した事件などもつい最近の話。
こういった凶悪事件があまりに多くて、驚きよりも「またか」という気持ちが大きい。
リアリティを失った現代世代。
バーチャルな世界に取り囲まれ、行き場を失い、人間性を失い、閉塞した社会で生きる現代世代。
この世代が、どうしようもない今の日本社会の中で、自分が生きている証を証明しようとした時、
最もリアリティを感じることができるのが「死」である。
現代世代は自殺するには臆病だから、人を殺す事によって、自分の中に人間性を取り戻そうとする。
そういう衝動は、現代社会の中には満ち溢れている。
事件になるのは氷山の一角に過ぎない。
<2>
ふと思う。
この世代がもっと大きくなった時に、失われたリアリティを取り戻すために、
国家全体で殺人を近い将来行うのではないかと。
つまりは戦争である。
「死」と隣り合わせになってはじめて人間は「生」を感じる事ができる。
現代社会のような無菌国家、無機質国家、機械化国家に生きる世代が、
リアリティを取り戻す方法を集団化させれば、戦争になるだろう。
ベトナム戦争も太平洋戦争も我々の世代には遠い。
戦争の悲劇というものを本で読もうが、実感としてはわからない。
だからこそ、便利で物があふれて人間関係が極めて希薄化した社会の中で、
近い将来起こりうる現代社会の悲劇は、間違いなく戦争であると思うのだ。
人類は愚かなる過ちを繰り返す。
しかし今度起きる戦争は、領土を獲得するというある意味では合目的な目標のためではなく、
自分の中にリアリティを取り戻したいという極めて個人的で精神的な動機から、戦争を起こすだろう。
そこには勝利も敗北もない。
人の死が、仲間の死が、時には自分の死があれば、戦争の欲求は満たされるという、
極めて倒錯した理由によって人殺しがなされる時代になるだろう。
機械化が進む世の中で、希薄化した社会の中で生きる我々は、
個人的な狂気による凶悪事件が集団化し、血にまみれた戦争を起こすに違いない。
なんて不幸な世の中なんだ。
・2001年8月9日 創家ラーメン
高円寺のラーメン店はめちゃめちゃレベルが高い。
多分、日本一といってもいい。
都内のしょうもないラーメン店に、ちょっとテレビで紹介されたからといって、
何十人もの行列に並んで1000円近いラーメン食わされるのに比べたら、
高円寺に来てお好きなラーメン店を選んだ方が安くてうまくて早いこと間違いない。
新発見したうまい店は、峰と味噌一の間にあるラーメン店。
その存在は峰に行く度に知っていたが、そこまで来たら峰に行ってしまうからいつも入らずじまいだった。
ラーメン探訪を今週はしていなかったので、今日は新しい店に行こうと、
涙を飲んで峰をやめて、この店に入った。
メニューは実にシンプル。ラーメンの種類は一種類で麺に並・中・大のラーメンとチャーシュー麺があるだけ。
並のラーメン600円を頼んでみた。見た目は実に普通のラーメン。
今はやりのとんこつしょうゆスープを飲んでみると、
「うううう!これは!!」と思わずうなった。
うまい!うまいのである。
しかしこの味、どこかで飲んだことあるんだよなとずっと考えてやっとわかった。
中野の青葉のスープの味にそっくりなのである。
青葉よりもっと濃くてまろやかにした感じだ。
特にこのうまいスープに太い麺があって実においしい。
具はほうれん草に大きなちゃんとした海苔が3枚にチャーシュー1枚。
ほうれん草がすごくラーメンに合っていて良かったな。
麺・スープ・具の三位一体感は抜群で、特に麺とスープのうまさは絶品だ!
ただ敢えて難点をいえば具の種類が少ない事。
青葉はこちらよりスープはあっさりしていて麺が細くて、具の種類が多いから受けるのだろう。
スープと麺は個人的には青葉よりも食べ応えがあって好きだが、具が3種類しかないというのが寂しい。
具の種類が多いと味に広がりがでるのにな。
あとは、チャーシューがそれほどうまくはないこと。
チャーシュー麺を頼むより、普通のラーメン頼んで、トッピングで味付けたまごをつけた方がいいかもれない。
まあそれでもここは素晴らしい。
中野の青葉で1時間並ぶのがいやな人は、お隣の高円寺に来てこの創家にくれば、十分満たされるだろう。
それにしても高円寺は、味噌一・峰・太陽・時代屋・ザボン・そしてこの創家とレベルが高い!
僕はこのために高円寺に引っ越してきたのか?と思うぐらいラーメン通には欠かせない町だ。
ラーメンランキング
・2001年8月8日 ON-OFF
このところずっと仕事が忙しく、朝9時半に出勤し、夜は24時まで毎日働き、
ときたま土日も出るというハードな日々を過ごしていた。
しかしなんとかここに来てやっと落ちついたので、隙を見て今日1日休むことにした。
やっぱりいい仕事をするにはON-OFFをはっきりつけることが大切。
最悪なのは仕事中、遊びながらやって、遊び中に仕事をすること。
時々勘違い野郎がいて、かっこつけなのか、
仕事中に俺はプライベートも忙しいんだみたいなことを見せつけるためなのか、遊びの電話をしたりして、
逆に遊び中に、俺は仕事で忙しいんだみたいなことを見せつけたいのか、仕事の電話をしたりするが、
実はこれは極めて効率が悪い。
遊ぶ時には遊ぶ。仕事をする時には仕事をする。
このON-OFFをはっきりさせることができる人の方が、
仕事もできるし、プライベートも充実していることが多い。
ということでこれだけ偉そうなことを述べておいて、
休みをとったかさこさんが何をしていたかといえば、
二夜連続、前代未聞のミスチルのみカラオケ3時間半をしていたのである。
二日連続で4時間、3時間半とカラオケに行くのもすごいが、
さらにこれがミスチルの曲だけときているから前代未聞だ。
まあおかげさまで、たっぷりミスチルを歌い尽くし、非常に充実した休日を過ごさせていただきました。
また明日から仕事がんばろう。
・2001年8月7日 前代未聞のカラオケ
いとこの高校生が、東京の専門学校の見学のためにうちに泊まりに来た。
せっかく東京に来たのだから、東京見物でもと思ったが、考えてみれば東京で見るべきところなどない。
唯一おすすめする観光スポットといったら、通勤ラッシュ体験と新宿高層ビル群見学ぐらいだろう。
そんなわけで、暇つぶしにカラオケに行くことにした。
僕が仕事を終えて夜中1時から、男二人で延長延長の連続で、朝5時まで4時間ぶっとおしでやった。
とにかく眠気も疲れも忘れて盛り上がったからである。
なぜか。
二人は大のミスチルフリークという共通点があったからである。
前代未聞の史上最強カラオケだった。
4時間、二人が歌ったのはミスチルの曲だけ。
カラオケに入っているミスチル99曲のうち二人で44曲歌った。
全曲歌い尽くしてやろうと思ったが、とても4時間では足りなかったが、大満足のカラオケだった。
やっぱりカラオケは自分の好きな曲を歌いたいのはもちろん、
人が歌っている曲も自分の好きな歌であることにこしたことはない。
そういう意味では、このカラオケは、
自分が歌っていない時でも自分が歌っているような気分になるから良かったのだろう。
他の人とカラオケにいけば当然、
「またミスチル歌うの?たまには違う曲歌ったら」とひんしゅくをかうところだが、
このカラオケの場においては、全くそんなことはないのである。
僕でさえミスチルフリークの代名詞みたいになっているのに、
自分以外にこれだけミスチルが好きな人が、まさかいとこにいるとは。
それにしても、二人でミスチルの曲だけで4時間カラオケなんて、
考えてみればえらいことやってるよな。
・2001年8月6日 時は巡る
毎年恒例となった、今年で3年目を迎える「元アイフル社員」ゴルフ大会。
今年もほぼ1年ぶりに、クラブを取り出し、ゴルフをすることとなった。
一人、仙台に引っ越しした人がいるので、
ゴルフのついでに前日に仙台に行って、仙台観光をしてこようと思った。
なかなか海外へは行けないので、国内観光をして、
「Weekly eye」という冊子の旅行ページの連載記事の取材も兼ねれば、
原稿料として小遣い程度なら出るなという腹づもりもあったからだ。
朝6時東京発、7時半仙台着。
わずか1時間半で仙台へ着いてしまうという驚異的な早さに驚いた。
仙台の松島へ行く拠点でもある塩竈を観光。市場を見学し、そのあと由緒正しき神社を観光。
外を歩き回り、思ったより観光に時間がかかってしまい、とにかくのどが乾いて仕方がなかった。
そこで昼食時に、迷いに迷ったあげく、僕はビールを頼んだ。
ご存知の通り、僕はあまり酒は飲めない。
酒を飲むぐらいなら一杯のコーヒーを選ぶこの僕が、
自分から、しかも昼間っからビールを飲むなんて極めて異例なことだ。
以前だったら、のどが乾いたとしても「ビールを飲む」なんて選択肢は思い浮かばなかっただろう。
暑い陽射しの中、歩き回ってやっと店で座れて、そこで飲むビールはもう最高!
なんだかこの一杯を飲むために、苦行をして歩き回っていたのではないかと思えるほどだ。
思えば、昼間っからビールを飲む楽しみを教えてくれたのが、今回のこのゴルフのメンバーだった。
はじめてゴルフに行った時、カルチャーショックではないが、
ハーフのラウンドを終えて昼食と一緒にビールを当然のように頼んだ時には面食らった。
まさかスポーツの合間に、しかも昼間っからビールなんて信じられないと僕は思ったのだ。
しかしそれからもう5年。
すっかり僕はその楽しみを覚え、自分から一人でビールを頼むようになった。
時は流れる。
これって大人になったのではなく、おやじになったってことか?
・2001年8月4・5日 ベトナム・第3章 忘れ去られた王国 ベトナムはこちら
・証拠写真
このベトナム旅行で、はじめてインタ−ネットの恩恵を受けることになる。
hotmailを使い、インターネットカフェを使って、メールを送受信したり、
かさこワールドの掲示板に書き込んだりしたのである。
「今、僕はベトナムにいます」
そんな言葉が、たとえば掲示板であったり、携帯電話のメールに届いたとしても、
読んだ人にとっては、僕が本当にベトナムにいるのか実感がわかないだろう。
メールというのは、どこにいようが相手がすぐ近くにいるような錯覚を起こさせるからだ。
「かさこさん、ベトナムに行ったなんて言って、
実は家でホームページの更新でもしてんじゃないか?」
そんな疑惑を持たれないかねないほど、インターネットのすごさを感じだ旅だった。
だから・・・というわけではないが、いちよ何かのために証拠写真を撮ってきた。
僕は間違いなくベトナムから掲示板に書き込みしたのだと裏付けするために。
でも、と思った。
IT時代を生きる僕たちにとって、
相手がどこからメ−ルを送ってきているか、どこから掲示板に書き込んでいるかなど、実はたいした問題ではないのかもしれない。
それがネットの最大の利点でもあり、そして最大の欠点でもある。
ネットによって人々は近くなり、そして遠くなる。
メールというコミュニケーション手段は便利であるが、その一方で決定的な無味乾燥性はぬぐえない。
だから・・・というわけではないが、やっぱり証拠写真は必要なのかな。
そんな先進国の機械化帝国アンドロメダからやってきた僕が、
必死になって三脚立ててセルフタイマーにして自分を撮ろうとしている姿を、現地の子供は不思議そうに笑ってみていた。
やっぱり、僕らが間違っているのかもしれない・・・。
・その向こうに ねえ、この向こうには何があるの?
ねえ、この向こうには何が見えるの?
ねえ、一体この祠堂を作った人々は、この窓から何を見ていたの?
ここはな、何百年も前から景色は変わってないんだ。
わかるか。あんたのお父さんも、そのまたお父さんも、
そのまたまたお父さんも、そのまたまたまたお父さんも、
今、おまえが見ている景色を眺めていたんだ。
何も変わらないんだね。
いいか、坊主、よく聞け。
変わらないこと=進歩していないということではないんだ。
変わらないこと=発展していないということではないんだ。
昔からな、この地にふさわしい風土があり、文化があり、暮らしがあるんだ。
変わらないでいられること。それこそが今の世界で最も難しいことの一つなんだ。
おじちゃん、でもこの建物、もう崩れそうだよ。
たとえ遺跡が崩れ落ちても、ここからの景色は変わらねえ。
ニンゲンなんぞが作ったものなんぞ、そのうち消えてなくなってしまうけどな、
でも、自然も、景色も、風土も、そしてここに暮らす人々も、消えてなくなることはないんだ。
変わらなければな。
・2001年8月3日 ドラマ
たとえばそこに一つの石があったとして、たとえばそこに一つの家があったとする。
たとえばそこに一匹の蛙がいたとして、たとえばそこに一人の乞食がいたとする。
過ぎ行く人々の何人かはそれに気づかないとして、過ぎ行く人々の何人かはそれに気づいたとする。
過ぎ行く人々の何人かはそのまま通り過ぎ、過ぎ行く人々の何人かは足を止めたとする。
たとえば、石。たとえば、家。たとえば、蛙。たとえば、乞食。
歩みを止めた人と我彼との出会いがそこにはある。
出会いといったところで、それはただの一瞬の出来事であるやもしれず、
出会いといったところで、そこに何かが生まれるやもしれない。
人間の一生が長いとして、そこには無数の出会いがあったとする。
偶然に遭遇した人と人、人と物の間に何らかの関係性ないし無関係性が発生し、
その無数の蓄積が人生の総体であるとするならば、
そこには無限の可能性が秘められているやもしれず、そこには何一つ可能性がないやもしれない。
そこには気まぐれがあり、偶然があり、意志があり、必然があり、
そして運がある。
拾い上げてみたものがくずであるやもしれず、金であるやもしれない。
チャンスは無数に転がっている。そしてチャンスは無意味に転がっている。
それが果たしてチャンスと呼べる代物なのかもわからないなかで、
チャンスをものにする人間と、チャンスを逃す人間と、危険を回避する人間と、危険と鉢合わせる人間もいる。
それが人生の不可思議であるとするならば、それを運命として受け入れよう。
それが人生の必然であるとするならば、それを意志によって手に入れよう。
何が幸せで何が不幸なのかわからない時代。
無数の偶然性と必然性に秘められた長き、そして短き人生の中で、
人は無数に転がっているものとの作為または不作為によって、
人生という名の一つのドラマを描きあげていくのだろう。
・2001年8月2日 旅人の心得
今時アジアに何ヶ月か旅をしたところで、そう大きく人生観が変わることなど残念ながらあまりない。
異国の世界が、インターネットやら雑誌やらテレビやらで日常化していることもあるし、
また世界各地に張り巡らされた飛行機網を考えると、
簡単に異国に行けて、そしてあっという間に日本に帰ってくることができるからである。
そんな旅幻想の薄れた時代に、時代錯誤とも思える旅を敢行した僕ではあるが、
旅をして変わった数少ないことの一つに「宿の提供」意識がある。
一人暮らししている我が家は、自分の居城であるわけだが、
城壁を張り巡らし自分だけの城にするという意識から、
この地に訪れた旅の者をできるかぎり家に泊めてあげようという意識に変わったのだ。
旅や移動先で最もお金のかかるのがホテル代だ。
旅先がアジアなら日本の物価から見ればたいしたことはないが、日本国内となるとそうはいかない。
そんなこともあって、東京に来る友達には極力僕の家を宿として使ってもらうようにしている。
来週、静岡に住む親戚が東京の専門学校探しにうちを宿として使うことになった。
風呂もないアパートといえど、金のない学生にとっては助かることだろう。
別に僕はアジアを旅して現地の人によく泊めてもらったことがあるわけではないが、
旅に出てからというもの、自分の家が無料の宿として、
旅人のいくばくかの役に立てばこれほど幸いなことはないと思うようになった。
逆に友達の家を宿として使おうという意識もそのせいか強くなったかもしれない。
来週、仙台観光のついでに仙台の先輩の家にずうずうしくもお世話になることにした。
まあでもこうして「宿の提供」なんていう些細なことから、人の和が広がっていけばなと、
自分のいいように解釈して願う次第であった。
・2001年8月1日 無意味な選挙
残念ながら、これほど無意味だった選挙はない。
7/29に行われた参議院選挙。
この選挙の存在そのものに価値がなかった。
<1>
青島幸男が参議院の存在意義がなくなった選挙だったという意味が一つにはある。
この選挙で明らかにされたことは、「参議院ってもういらないんじゃない?」
「参議院って結局何もやらないくせに、政治家のくいぶちになっているだけじゃない?」という批判が、
的を得る結果となった。
参議院とは、衆議院の行き過ぎを是正し、国会審議を慎重なものにする機能を担っている。
にもかかわらず、今の立候補状況を見るに、ただの第二の衆議院と成り下がっている。
同じ議院は二つもいらない。
<2>
日本は民主主義国家のはずであるが、この選挙で一人一人の政治的権利が平等に扱われていないことが明らかになった。
たった2万6千票で当選した議員もいれば、31万票とって落選した議員もいる。
一体この数の不平等は何だ?
こんな選挙制度では、国民に「大事なあなたの一票を投じてください」なんてスローガンは成り立たない。
「一票」の価値がこれだけ違ってしまっていて、どうして正しい国民の意思が尊重されるというのだろうか?
<3>
そして今回の選挙ほど立候補者の質が低かった選挙はない。
一時期流行った無能なタレント議員が大挙して選挙に立候補し、有名性を利用して当選した。
「痛みを伴う改革を」という小泉総理の言葉とは裏腹に、
今まで政治の甘い汁を吸い上げた旧体制的考えの組織票をバックにした元官僚や族議員が当選した。
<4>
小泉総理が前代未聞の高支持率を上げ、政治への関心が高まったなどとほざいたものの、
蓋を開けてみれば予想通りの低投票率。戦後3番目の低さの56%に終わった。
約半分の人が選挙に行っていないということになる。
つまりは小泉総理個人には関心があるけど、他の政治家には全く興味がないということが明らかになった。
僕は今まで白票投票をして選挙に参加した。
つまりは政治に関心はあるが選ぶべきふさわしい候補者がいないということで、
これまでの選挙は全く何も書かずに投票した。
しかし今回は棄権した。
白票を投じなかったのは、この選挙の存在自体に意味がないと判断したからだ。
この選挙結果の教訓をもとに、参議院は撤廃した方がいいと思うがいかがだろうか。