ここではないどこかへ〜西表島 By かさこワールド

・西表島写真

ここではないどこかへ1

 <日本の辺境>
 ここではないどこかへ
 もっと遠くの島へ、もっと遠くの街へ


 西表島〜イリオモテジマ〜である。
 日本の辺境といってもいい。
 東京からの距離は約2150km−
 東京-ソウルは約1200km、東京-上海で約1850km。
 いかに西表島が遠いかがわかるだろう。

 西表島がどこにあるのか、
 ぴんと来ない人も多いかと思うので、距離で説明を。
西表島へは石垣島からフェリーで40分、距離にして約30km。

ちなみに沖縄本島から石垣島は約450km離れている。
石垣島から台北までは約260km。
ここを「日本」と呼ぶことが不思議なくらいの場所である。

 <ユートピアを求めて>
 ここではないどこかへ
 もっと遠くの島へ、もっと遠くの街へ


 例によって飛行機占いをする。
 飛行機占いとは、飛行機上空から見る景色で、
 その場所がどんなところか想像することである。
 沖縄上空−
 僕は沖縄はかつて1度しか行ったことがないが、
 上空から見ても結構都会だなと思う。
 街がずっと続いている。
 石垣島上空-
 沖縄本島より畑・田んぼが多く、緑が多く感じるが、
 海岸沿いにはリゾートホテルを中心に街が形成されている。

 それに比べて西表島は…
 完全なる自然の島、ジャングルの島、緑の島である。
 緑しか見えない。街らしきものがほとんどない。
 人口約2000人、島の90%以上が亜熱帯の原生林で覆われている島…。
 すごい、すごすぎる。西表島についてそう思った。

こうして旅人は辺境へ辺境へと非日常性を求めて旅する。
沖縄本島より石垣島。石垣島より西表島。
もちろんその周辺に大小さまざまな島々があり、
現代社会に犯された都会の人々は、癒しを求めて、もっと遠くの島へ島へと旅をする。

 <ドロップアウト>
 石垣島や西表島にはシュノーケリングやカヤックツアーなどを
 主催する小さな旅行会社がたくさんあるのだが、
 そこに勤めるガイドのほとんどが内地(本州)出身である。
 今回、西表島でシュノーケリングのガイドもカヤックのガイドも、
 ともに東京出身者であった。
 本や人の話から聞いてはいたが、
 本州出身の人が真っ黒に日焼けしてガイドをやっているのを、目の当たりにした。

 「島の人は海や自然にはあんまり興味はないみたいです。
  だってそこにある当たり前のものなんですから。
 それよりも沖縄本島に行ったり九州に行ったり、
 大阪や東京に行ったりする人が多いですよ」

皮肉なことである。
東京や大阪に住む若者は、都会暮らしに嫌気がさして、
自然を求めて石垣島や西表島でネイチャーガイドをしながら暮らしている。
石垣島や西表島に住む若者たちは、狭苦しい島生活に嫌気がさして、
いろいろなものがあって刺激がある、上京志向を持っている。

ここではないどこかへ
もっと遠くの島へ、もっと遠くの街へ

若者はそれぞれの「場所」の問題を抱え、
自分の「居場所」を今、自分が住んでいる故郷に求めず、
もっと遠くの島へ行き、もっと遠くの街をめざす。
そんな皮肉なねじれ現象を見ても、現代社会が作り出した矛盾の深刻さを思い知る。

田舎者の上京都会生活も、都会者の憧れ田舎生活も、よっぽど強固な意志がないと、
なかなか成功しないだろうし、短い期間でまたもとの場所に舞い戻るといったことも多いと思う。
でもこうして実際にコンビニすらない西表島に来て、憧れの生活を日常化して現実を思い知ることも、
刺激だらけの大都会に来て、テレビで見た憧れの生活を日常化して現実を思い知ることも、
それはそれで回り道かもしれないけど、いい経験になるだろう。

また暮らすステージを移すことだけでなく、非日常生活をそのまま日常化してしまうという、
長い旅もまた、1つのドロップアウトの方法で、
それもある時、いつか破綻がくることはわかっちゃいるけど、
都会でうじうじして上司の文句ばかりいって酒ばかり飲んだくれているよりは、
やってみることは回り道であっても大きな経験。

社会は病んでいる。
だから選択肢を無限に広げてドロップアウトだろうが何だろうが、
「好き」だと思うことにチャレンジしてみることは大切なことだ。
たとえそれが数年後に自分の今いる場所に戻ってきたとしても。

・ここではないどこかへ2

 西表島・・・
 なぜイリオモテジマなんかに?
 ひょっとして、かさこさん、猫好きが高じて、
 ついには天然記念物のイリオモテヤマネコを探しにでもいったんかい?

 う〜ん!なかなかいい線つくね。西表島と聞いてヤマネコを想像し、
 最近の総持寺墓猫探訪の力の入れようと結びつける。
 ただ残念ながらそこまで深く考えてたわけじゃないんだな。
 ただ自称・猫カメラマンを称するわたくしとしては、
 西表島に行ったのならば、イリオモテヤマネコを撮りたいと思うのは、自然な流れであろう。

 さあて、西表島に行ってイリオモテヤマネコが見れるかといったら、答えはノンである。
 旅行じゃ見れない。
 いや住んでいてもなかなか見れないらしい。
 それほど貴重な動物らしい。

 西表島には現在イリオモテヤマネコが100匹ぐらいいるらしいが、
 なんせ島の90%は亜熱帯原生林であるから、
 そんなところに潜んでいてはまず会えない。
 住んでいる人にも聞いてみたが、
 1度だけ夜見たことがあるといったその程度のレベルであって、
 日常的にわんさと出会える代物ではないらしい。

 ただし、道路ではしょっちゅうイリオモテヤマネコ飛び出し注意の看板を見たりする。
 なんでも道路に出てきたヤマネコをひき殺してしまう事件が年に数件あるらしく、
 目撃情報をもとに道路のあちこちにヤマネコ注意の看板が出ている。

この看板を目にする度に「俺は見れるんじゃないか」と淡い期待を抱くわけだが、
まず見れないと思っていい。
基本的に夜行性ということもあり、観光客が目撃するのは極めて難しい。
意外と会えないのである。

ただそのわりに本物ではない「イリオモテヤマネコ」はわんさかあふれている。
ホテルのみやげコーナーは「イリオモテヤマネコ」グッズやお菓子であふれかえっている。
ヤマネコ飛び出し注意のステッカーまで売っている始末で、
まるで本物を見れなかったうっぷんをはらしてやるかのごとき勢いで、ヤマネコグッズオンパレードである。
そんな中で、唯一、観光客が偽であっても本物らしいヤマネコを見たいのなら、
西表島野生生物保護センターなる場所にいけばはく製が見れるらしい。

ただバカの1つ覚えみたいにヤマネコだけを叫んじゃあいかん。
実はこの西表島には、イリオモテヤマネコ以外にも天然記念物の動物がいるのである。
カンムリワシとセマルハコガメである。
カメさんの方は遭遇率は高いらしいから、ヤマネコよりカメを探すのがよかろう。
ただし住んでいる人の話によると逃げ足は早いらしい。

国の特別天然記念物に指定された動物が3種もいるというのは実に驚異的な島である。
それだけ独自の自然環境がてつかずで残され、独特な生態系を築き上げているのだろう。
動物に限らず、植物なんかもおもしろいらしい。

そういった特異な自然環境から生み出された動植物がいることから、
稀な動植物を撮影し採取し研究しようといういろいろな人が奥地に入っていくらしい。
島に住んでいる人すら稀にしかみれないイリオモテヤマネコと出会うためには、
森に入ってキャンプをして、撮影チャンスを待つしかないのである。
前の会社の先輩にも石垣島にしょっちゅういって昆虫の写真を撮っている人がいたが、
西表島に来てやっとその行動の意味が理解できた。
そのぐらいここら辺の島々にいる動植物は興味深いものらしい。

 そのせいなのか、ロストしてしまう人も多いらしい。
 こうした行方不明ポスターがはられていることもある。
 チベットなんかには外国人行方不明ポスターが多く見られ、ついついそれを思い出してしまうが、
 日本の山なんかにもこういうポスターを時々見掛ける。
 もう生きてはいまい。ただその確信を知りたい。
 ただそれだけなんだろうけどね。

 しかししかし自然っていうのはほんとすごいなと思う。
 歴史が作り出したものも確かにすごいけど、
 自然が生み出す芸術品って人間の想像力をはるかに凌駕する。
 そういった自然のすごさにふれることもまた、
 ある種のカルチャーショックといっていいほどの衝撃を与えることができるだろ。





ここではないどこかへ3
 ここはどこでしょう?
 石垣があるから石垣島・・・ではない。
 そう勘違いする観光客も多いらしいが、ここは竹富島である。

 竹富島と聞いて「ああ、あそこね」と想像できる人は少ないだろう。
 石垣島からフェリーでわずか10分の距離にある小さな島。
 人口はわずか300人。
 しかしながら、この小さな島には、ほんとかうそか知らないが、
 年間約60万人の観光客が訪れるという。
 それはご覧の通り、伝統的な建造物が保存されている家並みが残っているからである。



 この家並みを、水牛車で回るのが一般的な観光方法だ。
 水牛車で回るのは1周約40分。
 それ以外、何もない。
 だから石垣島のどでかい豪勢なリゾートホテルに泊まっている団体客や、個人旅行者は、
 石垣島観光のついでにこの竹富島をほんのちょっと訪れるだけだ。

 西表島旅行に行くことが決まった時、しきりに妻がこの竹富島に泊まりたいといっていた。
 僕は竹富島も西表島も石垣島も行ったことがないので、
 その意味がさっぱりわからなかったが、やっとその意味がわかった。

 この何もない、小さな島を、水牛車でさっと見て記念写真だけ撮って、
 みやげだけ買って帰ってしまう日帰り旅行ではなく、
泊まってみることでそののんびりとした空気を吸うことこそが、
立派な施設がそろった石垣島のリゾートホテルに泊まるより、どんなにか心のリゾート気分を味わえることか。

残念ながら今回は、西表島にずっと泊まることにしたが、
(飛行機と宿泊のついたパッケージのため、1泊だけ竹富島にするといったことはできない)
いつか、この小さな島に泊まってみたいと思う。
(竹富島には小さな民宿が数軒しかないのだが)

 実は西表島も、観光客のそのほとんどが石垣島からの日帰り旅行だ。
 石垣島にはコンビニもありファーストフードもあり、大型ホテルもあり遊ぶところもあり、
 いろいろな意味で東京と変わらない「便利な」町であるから、
 わざわざ「不便な」西表島に泊まる必要はなく、
 石垣島から日帰りで十分だという認識があるからだろう。

 国内・海外問わず、こういった便利な町を拠点とした、
 不便な町への日帰り旅行というのが実に多いんだけど、
 さまざまな場所を旅してきた僕の旅感覚からいえば、
 日本人が日帰りするところこそ泊まって方が実におもしろい場所が多いということがわかる。
 ラスベガスからの日帰りしてしまうグランドキャニオンしかり、
 オーストリアのザルツブルグから日帰りしてしまうハルシュタットしかり、
石垣島から日帰りしてしまう竹富島、西表島しかり、
そういうところこそ、日常空間とは違う非日常性にあふれていて、
不便かもしれないけど旅の醍醐味を味わえる空間がある。

 しかし不幸なことに、旅行社側の効率的な意図や、
 旅する側の快適空間保持したままの旅行を求める風潮から、
 こういった非日常空間は、必ずといっていいほど日帰りにされてしまう。
 こういったところに泊まる人は、一度日帰りで来て、
 「こんないいところに日帰りするなんてもったいない」と気づいた人だけなのだ。

 旅が多様化している、
 個人の嗜好が多様化しているというスローガンがまかりとおりながらも、
 実は驚くべきほど本質的には画一化している傾向が見て取れる。
 「多様化」したのは服の色違いを選べるだけで、服の型そのものは変わらないという、
 ユニクロ式社会が日本の根底を覆っている。

 せっかく大金払って休みをとって旅行するのならば、
 部屋にテレビがついていただとか、バスタブがついていただとか、
 近くに遊べるナイトスポットがあっただとか、コンビニが近くにあるだとか、
 そういったくだらないことではなくって、精神的な満足感を味わえるような旅をして欲しいと思う。

 「ここではないどこか」を求めさまよえる現代人。
 日帰りしてしまう、その先の島に泊まってみれば、
 これまでとはまったく違った精神的充足を得られるに違いない。
 それが旅。
 ここではないどこかへ、もっと遠くの島へ。
 何も人がいったことのない秘境探しをしなくても、
 年間60万人も訪れている竹富島に泊まってみる、そんな身近なところに目を向けてみれば、
 日常とは違った旅気分を存分に味わえるはずだと思う。

 日帰りするところに泊まるべし。
 これが旅を楽しむ1つの秘訣だな。





ここでしか味わえない旅体験

 西表島に旅行して何をするか?
 観光名所などない。
 名所らしき由布島はいかにもとってつけたような名所で、
 ちっともおもしろくない。

 何をするか。
 雄大な自然を楽しむ。それしかないし、そのために来ている。

 透き通るような海。
 シュノーケリングである。
 本当ならダイビングができればいいんだろうけど、
 てっとり早くすぐ楽しめるのがシュノーケリング。




ロンボク島ですっかり気に入ってしまったこのアクティビティだが、西表島もすごいですよ。
広がる珊瑚に身近に迫るさまざまな魚たち。
自分で泳いで見れるのがなんとも楽しい。

別に泳ぎが達者な必要はない。
見ての通りライフジャケットがあるし、もぐるわけではない。
若者だけに限らず、中年ぐらいだったら十分できる。
もちろん経験も必要ない。

沖縄本島からもシュノーケリングやダイビングをしに、この西表島周辺に来るらしい。
やはりこの辺は美しい自然がいまだ残されているのだろう。

ただちょっと心配なのが、自分も含めてこうして簡単に人間が来てしまうと、
自然環境はすぐ悪化してしまうんじゃないかと思う。
大挙して観光客が訪れたらあまり良くないとは思うが、ぜひ西表島でシュノーケリングをして欲しい。
きっと世界が変わるはず。


シュノーケリングの次はカヤックである。
細長い手漕ぎボートのようなものだと思っていただければよい。
はじめてやったがそんなに難しくはない。
左右に曲がるのもペダルがあってそれを踏み込めばいいだけだ。

これで川を渡り、滝のある山の近くまでいった。
この滝に出会うには、延々何時間も山道を歩くか、
カヤックで川をのぼっていくかの2つに1つしかない。
滝という自然に出会うために、カヤックという道具を全身で漕いで辿り着く。
まあちょっとした冒険気分なわけだ。
(といっても川は水深1〜2mぐらいだし、ピラニアがいるわけではないし、
冒険というにはちと大げさではあるが、少なくともディズニーランドの、
ジャングルクルーズよりはアドベンチャーであることは間違いない)

途中、マングローブと出会ったり、根がまるで壁のように発達したサキシマスオウの木やら、
川辺の砂浜にわんさかいる小蟹の大群に出会ったり、
そういった途中途中で動植物との出会いが楽しいわけだ。

ちなみに今回ガイドさんに聞いて驚いたのは、マングローブという木はないということ。
マングローブとは熱帯、亜熱帯の河口周辺に生育する樹林の総称のことであり、
それぞれヒルギであったりなんとかであったり、個別に名前が違うというのだ。
魚という魚がいないように、マングローブというのは総称なのである。


ちなみにマングローブの種から芽が出た30cmぐらいのものがおみやげとして1000円で売られているが、
まあこのカヤックでマングローブ林に来れば取り放題である。
もちろんそうやって勝手にどんどん取っていったら、自然を蹂躙してしまう、
とんだ「自然体験ツアー」になってしまうので、やめておこう。
ただガイドさんはその芽が地中に刺さっているものは絶対に抜かず、
地中に刺さらず流されて地面におっこっているものは取ってもいいという、基準をもうけていたようだったが、
まあそんなもん拾っても都会の人間はなんのたしにもならんから、
やっぱりそのままにしておくのがいいんだろうな。

ま、そんな風にして、自然の中に、カヤックだのシュノーケリングだのという小賢しいが、
それこそダイビングとか遊覧船とかいう自然に対して刺激の強すぎるものではなく、
便利な道具を使って、大自然体験ができる。
ショッピング旅行やエステ旅行も結構だが、
思い出となるおみやげ、心のエステたる自然体験というのも大きな旅の意義じゃないかなと、
今回の西表島で思いつつも、大挙して自然体験ブームにでもなったら、
それこそせっかくの自然が台無しで本末転倒になってしまうから、
やっぱりバカどもは金でかうみやげやエステに興じでもらって、
一部の心ある人間が自然に親しんでもらえればなと思う。

島雰囲気

 西表島の森の中ー
 さまざまな植物たちの宝庫。
 鬱蒼と茂った木々の隙間から、
 微かに差し込む光を求めて、
 懸命に生きている植物たち。













 ここで生活している人たちがいる。
 日本の果てー
 「日本」という括りが間違っているんじゃないかと思えるほど、
 ここは遠く、そして小さい島だ。
 観光船には物資が詰まったダンボール箱が一緒に載せられる。
 南国ならではの食べ物は、日本とはあまりに違う。
 ここでの生活体系は同じ「島」国といえど、あまりに違う。
 観光客が何万人来ようとも、ここで生活している人たちが確かにいる。
 無論、観光客相手が多く、そんな商売をしている人たちの多くは、
 内地(本州)からのドロップアウト組なのだが。
 ここに訪れ「のんびりしてていいな」というレベルと、
 毎日灼熱の太陽が照りつけるこの島で暮らすというレベルは、はるかに違う。

 自然が残っているところは、
 標高に関係なく、空が近いと感じるのはなぜだろう。
 空の近さで生活の豊かさを測ったら、
 TOKYOは最低レベルだろうな。
 何気なく歩く海岸にはいっぱい生命がひしめいている。
 一歩一歩歩くごとに、もしかしたら生命を殺しているのではないかと思うほど、
 海岸には小さな生命たちがあふれかえっている。
 耳をすませば、波の音以外に、
 小さな生命体たちが蠢く音が聞こえてくる。
 たかだがそんなことが、僕らには大発見に思えてしまうほど、
 僕らの生活に自然は、生命体は少ない。
 だからこそこうして西表島まで旅行しにくるのだろう。

 美しい海がすべて。
 透き通った海がすべて。
 あまりにきれいすぎて、
 都会の空気で汚された僕らが入るのが、
 それだけで罪のような気がしてならない。
 それほど海がきれいだってことだ。
 リゾートに欠かすことのできない海。
 美しい海はそれだけで「世界遺産」。





便利の代償

 西表島ー
 独立した小さな島々っていうのはいろいろ不便だと思う。
 物資を運ぶのはすべて船だ。
 でもそこに素晴らしき未来が広がるかのようなキャッチ、
 「21世紀へのかけ橋」〜西表島ー小浜島間架橋の早期実現という看板を見て、
 「こりゃ、いかんな。橋はいかんな、ゼッタイ」と思った。

 橋ー
 僕は島々にかかる橋の建設要望を見て、
 藤原新也の著書「藤原悪魔」に書かれた話を思い出していた。
 「猫の島探訪 其の一」に書かれている話で、
瀬戸内海に浮かぶある島に、猫がたくさん生息しているから行ってみるのだが、期待に反して、猫がいなかった。
藤原新也と同行したもう一人の奇人は感慨深けにこういうのである。
「やっぱり、橋かねえ」
「ああ、やっぱり橋よ」
僕は西表島の看板を見て、この話を思い出したのである。

猫が多数生息していた小さな島に、隣りの大きな島とをつなぐ橋ができてしまった。
橋ができること、それが猫が少なくなった原因だという。
それは、橋がなければ、島は島なりの世界で完結させて存在しているものの、
橋という便利なものができると、小さな島はつながれた大きな島の一部になってしまい、
今まで築いていた独自の世界が崩れ、島おこしの切り札であるはずが、
過疎化に一層拍車をかけるだけだというのである。
なるほど、さすが藤原新也だなと思った。

 村おこしや観光誘致に必須なのはインフラと利便性のよいアクセス手段の整備にある。
 橋ができる。道路ができる。高速道路ができる。鉄道ができる。飛行機が飛ぶ。
 それだけそこに行きやすくなるインフラとそこで滞在するためのインフラ
 (ホテル、レストラン、ショップ、案内所、アクティビティなど)が充実すれば、
 確かに村は活性化するはずなのだ。

 しかし実際にはそれと逆転した現象が起きる場合がある。
 アクセス便利になったことで、逆に田舎から都会への流入が激しくなる。
 便利になってしまったことで、その村の独自性が薄れて本来の魅力がなくなってしまう。
そういった便利の代償ともいうべきパラドクスが起る可能性があるのである。

たとえば中国政府はなんとしてでもチベット自治区を完全に中国化したいために、
何をするかっていったら、中国本土からチベットへの鉄道を敷設している。
3000〜5000m級の高原地帯に鉄道を走らせようなんてきちがい沙汰としか思えない。
しかしこれは実に効果がある。
漢民族のチベットへの流入、中国文化の浸食、隔絶された世界を中国化するための、 大変便利な常套手段なのだ。
アクセス便利な「手段」ができることで、その地域の独自性は薄れ、その魅力を失っていく。
これは目に見えた事実なのだ。

西表島は自然の宝庫であり、それが魅力で売っている島である。
そこに橋を作るというのはどういうことなのか。
もちろん、この看板で実現させようとしているのは、西表島より小さな島だが、
リゾート化された小浜島観光客が橋ができることによって今までより簡単に大量に流入してくれば、
自然遺産が破壊されることはほぼ間違いないことだろう。

しかし地元の人たちもそして政治家も、そういった「ハコモノ」行政があれば、
建設という大きなプロジェクトを引っ張ってこれて、必要性の採算性ではなく、
目先の金が落ちるかいなかでいとも簡単に実施してしまうと、
存在はいらないは、不良債権化するは事業は無駄だ、税金は無駄使いするは、自然は破壊するはで、
さんざんなことになる。
でも誰もが目先の現金、目先の利益をつかむために、長期的視野に立たずにハコモノ行政を引っ張ってくる。
それが、今の日本の諸悪の根源だということを未だにわかっていないやつらが多い。

先日、どっかの町で、古い小学校を強引に壊そうとして問題になった町長がリコールされたにもかかわらず、
再当選するという前代未聞の出来事があった。
つまりそれって上に書いたようなことなんだな。 保存したって金になりはしない。
ぶっ壊して新しいもの作れば仕事は増えるし、金は落としてくれるし、目先の利益を考えれば、
そっちの方がはるかにいいわけ。だから再当選したんでしょう。

その地域に残るよさ、世間と隔絶されているからこそ非日常気分を味わえる旅のよさ。
確かにアクセス便利になることは結構だが、それもやりすぎてしまうと、
結局、そこの地域にしかない独自の魅力を失ってしまうことを覚えておきたい。

藤原新也の「藤原悪魔」に出てくる橋をめぐる話。
ことこまかに調べて書いてるわけじゃなく、直感的に「橋だ!」と思うそのエッセイは実にいいですよ。

便利の代償2〜民宿VSリゾートホテル

 西表島〜
 私が泊まったのはここ。「ネイチャーホテル」パイヌマヤリゾートである。
 僕はてっきり西表島なんていう日本の辺境には、
 民宿しかないと思い込んでいたのだが、
 こんな近代的なリゾートホテルもできているのに驚いた。

 確かに民宿より若い世代にとっては泊まりやすい。
 変に気兼ねせず、ゆっくり自分らのペースで楽しめ、
 プライベート空間はしっかり保たれている。
 機能的で効率的でシスティマティックできれいでいいというのが正直な感想だ。


 しかし非常に残念なことが1つ。
 食事がシャレ過ぎていてださい。
 沖縄食材を使ってはいるんだけど、妙な細工をして西洋料理のコースのようにしてしまっている。
 はじめの夕食は「豪勢だな!」なんて驚いていたが、すぐに飽きた。
 3泊泊まっているわれわれはメニューこそ多少違えど、
 この似たようないかさま西洋コース料理を口にするのは非常に抵抗がある。

 といってもリゾートホテルは民宿と違って町にはなく、
 周囲に何もないところにぽつんと建てられているので、
 食事はここでするしかない。
 1食だけでもいいから、お願いだからソーキソバに変更してくれないかと頼んだが、
 そんな勝手な願いが許されるはずもない。

 石垣島への乗り継ぎのために那覇空港で食べたソーキソバが恋しくなった。
 その時は西表島につく前から真っ先にソーキソバを食べたが、
 まあそんなに焦らないでも滞在時に嫌というほど食えるだろうというのが甘かった。

 妙に凝った料理など出さずにソーキソバとゴーヤチャンプルでもでれば、
 観光客は十分満足するのになあ。
 何も西表島にまできて、快適なリゾート空間はありがたいが、
 へんてこなコース料理はいらん。




 しかしこのリゾートホテルにはもう1つ押しがあって、
 日本最南端の西表島温泉があることである。
 もちろん宿泊客は無料で入れる。
 それは非常にうれしいことではあったのだが。




ただやはりリゾートホテルの快適さは世代的には捨てがたいし、その良さもわかるんだけど、
自然が命、自然が財産、天然記念物の宝庫である西表島そのものの魅力を考えると、
「ネイチャーホテル」とはいっても、やはりこういったものは作るべきではないんじゃないかと思わざるを得ない。

ちなみに今週の週刊誌でこのホテルの比ではない、とんでもない巨大リゾートホテル建設が、
西表島で勝手に行われているという記事があった。
残念なことである。
ホテルができたはいいが、肝心要の自然遺産がそれによって滅んでしまえば、
島の魅力を失い、誰もここにわざわざ来る必要がなくなってしまうだろう。

リゾートの快適さをここに来る人はそんなに求めていないと思う。
そういう人は西表島へは日帰りで来て、石垣島のように施設充実のホテルと、
夜も遊べる町があるところに泊まるのだから。

便利さの代償は、島そのものの魅力を消失しかねない。

便利の代償3〜自然破壊の兆候:2004年新聞記事より
昨年、石垣島経由で西表島を訪れた。
「手付かずの自然」を「売り物」にした西表島はすばらしかったが、
もっと観光客誘致して、町を潤そうという勢力がいて、
大型ホテル建設や橋の建設計画を推進する看板などがあった。
しかしそれによって自然が破壊されてしまえば、
「手付かずの自然」ではなくなってしまい、
町の魅力がなくなってしまえば、もともこもなくなってしまう危険性を警告した。
利便性を重視した大規模施設の建設は、一時的な観光客誘致に成功しても、
自然破壊によって町の魅力を失わせる決定的な要因になるからだ。

あれから約1年、恐れいた兆候は随所に現れていた。
先日の新聞に、西表島に今年4月オープンした大型ホテル開業についての記事があった。
世界自然保護基金や全国400人以上が、
大型ホテルの建設によるさまざまな環境破壊を懸念し、
建設差し止めを那覇地裁に求めたが、ホテルは開業してしまった。
現時点で、ホテルの開業と環境破壊を結びつける決定的な何かはないようだが、
125室という大規模な収容人数が確保されたホテルができたことで、
観光客が増えることは確実で、
「これ以上、観光客を増やすと、山やサンゴが荒らされ、取り返しがつかなくなる」
という懸念や、
ホテル前にある800mの鳴き砂の浜にカメが卵を産みにくるが、
「(ホテルの)光が浜に漏れると産卵に来なくなる」といった懸念があるようだ。

しかしこの大型ホテルの建設現場を上空から撮影した写真が、
昨年の週刊誌に載っていたが、それを見る限り、
ホテル建設そのものが大規模な自然破壊のうえに成り立っているとしか見えなかった。

ちなみにこのホテルの名は「西表サンクチュアリーリゾート ニラカナイ」である。
「サンクチュアリ=聖域」とは皮肉な名称をつけるよな。
手付かずの自然を楽しみにきた観光客を、
快適に過ごすための設備がそろった人工空間としての人間だけの聖域(サンクチュアリ)なのか、
それともホテルも含めた西表島が手付かずの自然が残る聖域(サンクチュアリ)なのか。
まあいずれにせよ、随分と皮肉なネーミングをつけたものである。

自然が売り物なのだから、利便性より自然保全に配慮し、
地元の人たちの民宿とかペンション規模の宿泊施設のみにするといった政策が必要なんじゃないかな。
大規模ホテルを建設して観光客が大勢来たはいいが、
見るべき自然が破壊されてしまっては、結局町の衰退につながるだけだ。
このホテルのプログラムには「スターウオッチング」や「海辺の生き物観察ツアー」などがあるが、
自らの存在が、見るべき星空をなくしてしまったり、
見るべき海辺の生き物を抹殺している可能性があるのだから。

それともう1つ。
もうすでにリゾート化が進んだ石垣島のニュースを1つ。
昨年行った時には石垣島は経由地でしかなかったが、
短時間の滞在で目についたのが「新石垣島空港早期建設」という、
新空港建設推進の看板だった。
これも西表島と同じで、自然破壊の要因にならなければとの懸念をしていたが、
まさにそのことが先日、新聞で取り上げられていた。
新空港建設予定地に希少コウモリが生息していることがわかったのである。

新空港予定地に絶滅の恐れがあるコウモリ3種が生息する洞窟が3ヵ所あるという。
日本自然保護協会は予定地の変更を含め、環境アセスメントのやり直しを求める意見書を提出したという。

しかし、それによって莫大な利益をうるであろう、
政治家、建設会社、それにくっつく役人やら支援団体やらなんんやら、
観光誘致による経済利益の分け前欲しさの連中は、
なんとしてでも新空港建設を推進したがっている。
市観光協会会長兼石垣市長の大浜長照は、
「洞窟は数多くあり、コウモリの生存は島全体で考えていけば可能。
自然保護ばかりでなく、住民の生活も考えてほしい」と強調している。

バカだな。小学校の理科の勉強をし直した方がいい。
僕は単なる自然「保護」には大反対だ。
だいたい人間が自然を「保護」するなどという傲慢な態度がおかしい。
自然を人間が「保護」してやるのではなく、
人間が自然を破壊しないよう手を出さなければいいだけの話である。

ただこの市長の考えはおかしい。
もうこいつの頭には「住民の生活」ではなく、
空港建設による莫大な経済利益と私的利益ことしか考えていないのではないかと思う。

なぜ問題なのか。
単に空港予定地のコウモリが死滅するだけで問題は済まないからだ。
市長の考えては空港予定地のコウモリが死のうが島にはコウモリがいっぱいいるからいいじゃないか、
という考え方であるが、生態系の連鎖をまったく考えていない。

ある1つの種が絶滅することで、生態系のバランスは崩れるわけで、
それのしわよせがいろいろなところに出てきて、
結果として最終的にはそこに住む人間にもさまざまな影響が出てくる。
単に空港予定地のコウモリだけの問題ではない。
それがいなくなることによって、変な虫が異常発生したり、
よく採れた動物がまったく採れなくなったり、
町に出没しなかったコウモリが洞窟から出て人に害を及ぼしたりなど、
1つの生態系を破壊することで、結果として人間の生活にまで深刻な影響を及ぼすことになる。

でもその影響はすぐには現れず、何年もかかったすえわかることだから、
市長は自分の任期中に影響がなければしったこっちゃないという腹だろう。
そういう短期的な金にめがくらんで、長期的な人間生活への影響を考えない輩が、
社会をめちゃめちゃにしているのである。

ホテルを建てる。空港をつくる。それによって一時的に観光客は増える。
しかしそのことで自然が破壊され島に魅力がなくなれば、
観光客など誰もこない島になってしまうだろう。